イワシ式

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とめどない渇きが愛だというけれど(「黄昏乙女×アムネジア」感想)

先日完結した学園ホラー漫画「黄昏乙女×アムネジア」(めいびいガンガンJOKERにて2009年5月号から2013年10月号まで連載、全10巻)。最初の方は処分してしまっていたので、Kindle版で全巻揃えて読み直してみた。アニメ版は見てないです。




小高い丘の上にある誠教学園が舞台。増改築により旧校舎と新校舎が入り乱れ、迷路のようになっている。そこの中学一年生である新谷貞一が旧校舎の幽霊である庚夕子(かのえゆうこ)と出会うところから物語は始まる。
夕子は60年も前に死んだ学園の生徒。永い時の中で、自分が何で存在しているかもわからなくなり、ただ学園をさまよい続けている。そんな夕子のことを好きになってしまった貞一、そして自分を真っ直ぐ見てくれる貞一のことを夕子も好きになる。
夕子のことを知るために、貞一は学園に噂される七不思議を追っていく。その七不思議は全て夕子につながっていて―。


タイトルの「アムネジア」というのは、英語で「記憶喪失」という意味。
「何故生きているか」なんて聞かれたら、ただ生まれてしまったからとしか答えようがない。だが、「何故幽霊となってまでこの世に留まるのか」ということであれば答えがある。強烈な思いがあるからこそ、この世に残る。だが、夕子はそれを忘れてしまっている。

序盤は各七不思議自体とそれに関連する生徒にスポットが当たるが、後半の夕子自身にスポットがあたってからが面白い。夕子は何故幽霊として存在するのか、そしてもしその存在理由を思い出してしまったらどうなってしまうのか。
残酷で、切なくて、ひたすらに純粋なお話。


夕子は幽霊。普通の人には見えない。でも、確かにそこに存在していて、噂のような「何か」にすがりたい人たちは、夕子のことを「見たいように見る」、あるいは「見てしまう」。

漫画の中で、夕子は非常に肉肉しく描かれる。エロい描写もいくつかある。とても幽霊とは思えない。
しかし、それは「貞一の見ている夕子」。貞一の心が乱れれば、描かれる夕子の姿もおぞましいものとなる。

漫画の描写としてはこの「夕子をどう見せるか」というのが上手い。
コマ割りも凝っていて、人物がコマを抜いて描かれたり、コマの枠線を越える描き方(いわゆるタチキリ)も多い。それら特徴的なコマで夕子がアップで描かれ、視線は自ずと夕子に向けられる。ときには背景も消され、一層注目させられる。と思ったら、引いた視線で美しい校舎を映す。
アップの描写で徐々に緊張させ、ふいにロングで弛緩させる。百物語で蝋燭の火を消すように。緊張と弛緩を繰り返し、物語に引き込んでいく。

コマ割りが丁寧な分、テンポが悪く感じることもあるが、1ページ1ページ読み応えがあり、中々次のページをめくれない。時がゆっくりと流れる。
それは、いつ終わってしまうかわからない「今」を惜しむ夕子の心のよう。目的なんて考える前は永遠のように思っていたのに、貞一と出会い、それを意識してしまってからは、一瞬一瞬がいとおしく、時の流れが怖い。
過去と向き合えるようになったところで、時計の針が動き、クライマックスを迎える。


『死者の心は変わる、変わらなかったのは生きているもののほう』
(10巻、四十三話)



さて、死者の心を変えたのは、貞一を始めとした色々な人との出会い。
でも、幽霊とのつながりなんて非常にあいまいなもので、貞一も夕子も、その出会いの逆、「別れ」がいつ訪れるかの不安を感じている。ただ、その不安があるからこそ、悩み、苦しみ、成長する。

この「別れに対する不安」が最後どういう形になるかは必見。


一方で、今の世の中は別れを感じることは少なくなった。学校を卒業しても、twitterだのFacebookだのでつながってる。なんとなくのつながりが増える一方で、別れがない。今の学生は卒業式で涙を流したりするのだろうか?
もしかしたら、重要な成長の機会を自分たちは失ってるのかもしれないとふと思う。



ちなみに記事タイトルは「おもひでぽろぽろ」のテーマ曲、「愛は花、君はその種子」の歌詞より。